新着コメント※ニュースとして随時、上に更新していきまーす。

 

※だれのコメントかはタイトルの色をみてね!
幸四郎さん 染五郎さん 紀保さん たか子さん 紀子さん


2003.12 『毎日が発見対談

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★レポーター:TheatreIX Fans' Web Site副管理人 ドモンジョさん★

 

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*11月25日付け、中日新聞『毎日が発見』広告より

 

(幸)松本幸四郎さん

(紀)藤間紀子さん

(三)三好ひとみ編集長

 

(三)ご結婚なさって丸34年と伺いました。お二人はその間ずっとご一緒に過ごしてこられたわけですが、最近になって何かお互いに発見されたことはおありですか?

 

(幸)34年も一緒にいれば、よっぽど理解し合っていると思われるかもしれませんが、実はそうでじゃなかった、ということを発見しましたね。先日、家内の誕生日に、『お互いの人生で、一人より、二人でいる時間の方が倍以上になるくらいまで来ちゃったね。よくわかっているつもりだったけど、ぜんぜんわかっていなかった。これからはもっともっと理解して愛していきます』とバースデーカードに書いたんです。たとえ夫婦でも、分かり合うということは本当に難しいことですね。

 

(三)それは素敵なメッセージですね。紀子さんもあらためて、幸四郎さんについて何か発見なさったことはりますか?

 

(紀)私も同じことが言えますね。役者さんへの気配りなどわかっているつもりなのに、何気ない言葉で知らないうちに傷つけてしまったり、聞く状況ではないときに話かけてしまうといったことがあるんです。若い時だけじゃなくて、年を重ねても、まだまだ新たな発見続きです。

 

(三)お仕事柄、たとえ喧嘩をしている時でも一緒にいなくてはならないことも多いと思いますが、お二人の足並みが揃わない時はどのように解消していらっしゃるのですか?

 

(紀)私は済んだことは済んだこととして、なるべく翌日には持ち越さないようにしています。役者さんと生活しているため、常に身軽でいなくてはなりません。辛いことがあったからといって次の日に持ち越してしまうと、私自身が追い詰められてしまいますし。知らないう

ちに、自分の中で消化してしまう術みたいなものを身につけましたね。

 

(三)幸四郎さんは、いかがでしょう?

 

(幸)家内に言わせると、僕は絵を描いたり、句作をしている時我を忘れて楽しそうにやっているようです。自分ではそれが気分転換になっているとは思っていなかったのだけれど、それが一種の解消法なのかな?

 

(三)小さな食い違いは、その都度お互いに消化してきていらっしゃるようですから、大きな喧嘩などは、今まであまりなかったのてしょうね。

 

(幸)役者は、正常な神経ではなかなかできない仕事です。ですからどうしても、神経が過敏になってしまう。そういう状態で家内に接するわけですから、喧嘩とか口論というよりも、僕の一方的な感情の異常さで衝突してしまうというのがほとんどじゃないかな。

 

(三)すると紀子さんは、それを上手に受け止めていらっしゃるわけですね。

 

(紀)ええ。でも、彼が言うことはそれなりに正論だったということを、数年前に発見しました。昔のインタビュー記事をたまたま目にすることがあって、今まで何十年と言ってきたことは一貫していて、全部一つのことに通じているのだと。

 

(三)よく幸四郎さんのお母様が『歌舞伎役者の女房は共稼ぎ』とおっしゃられていましたが。

 

(紀)いろんな意味を含めて、そうだと思いますね。主人は歌舞伎の場合は歌舞伎役者として、テレビに出る時は一人のタレントとして立ち向かうわけです。ですから、私自身もそのように接しなくてはなりません。大変だと言っている暇はなく、今日まできてしまったという感じです。

 

(三)ずっと二人三脚で、がんばっていらしたというわけですね。

 

(幸)家内は当たり前のことを、素直に、そして自然に大事にできる人。我々の世界は、精神的にも肉体的にも尋常でないことを要求されることが多いんです。でも家内に接していると、トゲトゲしかった心が癒され、鎮まってくるんですね。家内を見ていると、地道な精進、目に見えない努力ができる人こそ、大きな仕事ができるのだなと思います。終演後に『お疲れさま』とにっこり笑って楽屋に入ってきてくれる家内を見ると、舞台の疲れがスーッと取れますね。

 

(三)本当に紀子さんの笑顔は素敵ですよね。やっぱり幸四郎さんにとって紀子さんは永遠のドルシネアでいらっしゃる…。

 

(幸)そこまで言いますか(笑)僕たちは、二人で一つの仕事をしています。そのよきパートナーが、家内なのです。人の痛みや苦しみを、わかることはできないかもしれないけれど、人と出会い、理解し合おうとすることで人間は皆成長していくのではないでしょうか。過去に辛さや厳しさがったとしても、そんな人生を感じさせない人っていますよね。『魂がステキな人』というのかな。いろいろ失敗や挫折をし壁にぶち当たったとしても、苦労を吹聴するのではなく、むしろそんなことはどこ吹く風で、さわやかに生きていると感じさせるような人。そんな女性を家内から発見しています。

 

(三)これからもお二人の『見果てぬ夢』を、私たちファンにも見させてください。

 

※記事の著作権は中日新聞、松本幸四郎さん、藤間紀子さんにあります。 


2000.4・10〜14 『演劇に「見果てぬ夢」を追う1〜5』

★幸四郎さんの舞台にかける思いが語りの形で綴られた連載です。歌舞伎はもちろんのこと、ミュージカル、ストレートプレイ、シアターナインス、梨苑座の夢まで、熱く語っていらっしゃいます。

※MIDさんの情報で、日経新聞HPで記事が読めることがわかりました。リンクをはりました。一定期間のみのアップかもしれませんので、お早めにぜひ読んでみてください。
いつもながら、前向きで、次から次へと挑戦なさる幸四郎さんには、励まされます。アイデア、プロジェクトの宝庫ですね。私も、紀保さん、たか子ちゃん同様、「幸四郎という人の頭の中をのぞいてみたいです(^。^) でも、この記事の中で、ひとつだけ気になったことが。

「シェイクスピア劇でロンドンの舞台に立つのが夢でしたが、染五郎が歌舞伎版で、たか子が「ハムレット」のオフィーリア役で、私の夢をかなえてくれました」

このコメントの中の、「夢でしたが」が、ひっかかります。どうして過去形になっているのでしょう。まだ、可能性あるじゃないですか!幸四郎様!過去形になんて、なさらないで。
ぜひ、その夢も、実現してください。蜷川さんも、「RSCでのリア王役の役者より、嵐の場面は、幸四郎さんのほうがよかった」っておっしゃっていらっしゃいますし。
だから、頑張ってください。いつの日か、ロンドンの舞台に立たれるお姿が見たいです。(<管理人しあたーないんす@)

→ こちら から。

(日経新聞夕刊「人間発見」より)


2000.3.17 「1999年度芸術選奨文部大臣新人賞(演劇部門)」受賞によせて

★1999年1月の新橋演舞場公演「天涯の花」と、5〜6月の新国立劇場「セツアンの善人」が評価されての受賞だそうです。
親子受賞は15組目だとか。幸四郎さんは、1969年に、『ラ・マンチャの男』で、大衆芸能部門の文部大臣新人賞を受賞されています。

「父(松本幸四郎)はひとつのことに満足するのではなく、常に何かをやろうとしている。そういう人が父であってよかった」

「これからも、面白いと思うことをやっていきたい。賞をもらったからといって、いきなり良くなるわけではないです」

※たか子ちゃん、おめでとうございます。これらの舞台それぞれ、本当に素晴らしかったです。いっぱい感動をいただき、たっぷりと演劇のたのしさを味わうことができました。その余韻で、しばらくぼーっとしちゃったほどでした。すごく素敵な思い出になりました。「この賞はいっしょに舞台を作ってくださった皆さんと一緒にいただいたと思っています」というコメントを聞き、改めて、素晴らしい人だな、って。たか子ちゃん、これからも今までどおりのスタンスで、楽しみながら、かつ、あたらしいこと、やりたいことに挑戦していってくださいお父様のように。今後のご活躍、心から祈っています。たか子ちゃんが選んで進む道、いつも応援しています。これからもいっぱい、素敵な舞台を見せてくださいね! たのしみにしています。(<管理人しあたーないんす@)

(夕刊フジより)


2000.2 TFM「CLUB RAMOS」

★たか子ちゃんがゲスト出演。「ドラマの待ち時間には何してるんですか?」「キャストどおし仲がいいんで、お話したり、部屋に戻ったり、それぞれマイペースです。私も、ときどき、i-modoで遊んだり、メール来てるかな、とチェックしたり…」。軽いトークから入って、質問コーナーへ。

ーユースケさんと松さん、ドラマでNGが多いのは?
「ユースケさん!」(「台詞を間違えるというより、ふぃちゃって…」)

ーお父さんは厳しい? 甘い?
「厳しい。というか、いろんな意味で、“正しい”」(このコメント素晴らしい、と、ラモスさん)

ー彼氏になる男性の最低条件は?
「素直さ、やさしさ。自分にも相手にも素直な人。それから、夢を持っている人、いいですね。これは、女性男性に関係なく……」

ー1回くらい、お見合いしてもいい?
「私はいいです…(したくない)」

ーファンからのプレゼントで困ったものは?
「困ったものはないです。うれしかったものは、温泉のもと、犬のセット(洋服とか遊び道具とか)、うめぼし、果物(おいしかったです)」

それから、「失恋ってしたことありますか?」って聞かれて「ありますよ! 普通にいきてますから。けっこうひきづるかも……」

最後に、たか子ちゃんのお気に入りの曲をMDに。

★「魚ごっこ」

(「姉が聴いていて、私も好きに。ピアノが素敵で、あんなふうに弾けたら、と」)

★「アイ・イン・ザ・スカイ」(70年代のもの)

(あるとき、バーみたいなところに皆でいったとき、聞いていいな、と思ったそうです。「70年代の曲っていいですね。いい歌っていつまでも残るものだな、って」)

★「Real Love」(ビートルズ)「詩がいい」

(「あるとき、父が母にプレゼントしたという『ビートルズ詩集』(日英バイリンガルの)がうちにあって、ときどき読むんです。ビートルズは父が好きなので」)

※ラモスさん、もう嬉しそうで。そんなに深くではないけれど、また、たか子ちゃんの考え方など知ることができて、
なかなかたのしい1時間でした。それにしても、「ビートルズの詩集」を奥様に贈られたなんて、幸四郎さんて、やっぱりかっこよすぎます。
でも、ゼンゼン、キザじゃなくって。すてき!! って、素直に思えてしまうところが、幸四郎さんなんですよね。普通ではなかなか…(<管理人)


2000.2・21 三月大歌舞伎「菅原伝授手習鑑」松王丸ついての中から

「(松王丸ほど)場面ごとにこんなに変わる役も珍しい。『車引』では、血気盛んな若者ですが、松王だけは、白地の襦袢を着ます。ほかの二人にはない気持ちの影が、そんなところにも表れているようにも思います」

「『賀の祝』の松王の引っ込みで、次の『寺子屋』での悲劇が暗示される。『車引』では純粋に時平に忠義を尽くし、護衛していた松王が次第に心を変えていくと僕はとらえています。

「(松王丸は時代物によくあるような位のある武将ではないので)人間的な気持ちの揺れが出ているので演じていてもおもしろい。
歌舞伎はある面でリアルな心理劇です。けっして難しいはずはない。お客様に伝わらないとしたら、こちらがやりおおせていないからでしょう

※この最後のコメント(黄色の部分)、心に響きました。本当にさすがというくらい、素晴らしい人がこれ以上ないほど素晴らしく演じた『寺子屋』の松王には、劇場中の誰もが涙してしまう…と、聞きます。必ずや今度の幸四郎さんの松王も…。心理描写、バツグン!ですから。いつも心をこめて演じられる幸四郎さんの松王の心の動きを、揺れを感じながら、ひとつひとつ大事に、そして楽しみながら見たいと思います。
(<管理人しあたーないんす@)

(毎日新聞夕刊「舞台人」より)


2000.1・8 「いつでも笑みを」「フジテレビ番宣」

★幸四郎さんのゲスト出演の模様(黒のジャケットスーツ姿、かっこよかったです)、たか子ちゃんのコメント、今井美樹さんの染五郎さんについてのコメントを集めました。

→ こちら から。

(フジテレビ系「いつでも笑みを」「CX trax」より)


1999.12 特別寄稿 「二十歳になった娘へ」  父 松本幸四郎(1997年)

 今、たか子がこういうシチュエーションで二十歳を迎えられたというのは、すごいことだと思います。世間の皆さんにこれだけ受け入れていただいているというのは。ただ、女優として本当にすごくなれるのはこれから。

 もし、たか子の中にダイヤモンドの原石のようなものがあるのだとしたら、それをこれから年々、磨いていかなければならない。自分でも磨き、他の方からも磨いていただかなければ……。役者とか女優というものは、お客様によって見いだされて、お客様に育てられ成長していくものですから。

 それから、それ以前に、自分を見いだして世に送り出してくれた人がいます。これはいつも言ってることなんですが、そういう人たちの事を絶対に忘れてはいけない。

 順調そうに見えても、たか子が相当悩んだり考えたりしているということは、普段の姿を見ていればわかります。ですが、それは彼女が彼女なりに悩んで苦しんで、そして解決の糸口を見つけて、自分の仕事のうえで答えを出すしかないんです。私はただ、たか子を信じるしかない。若い時に、自分がかつて父からそう言われて非常に嬉しかったという経験からも、そういう気持ちでいたい、と思ってます。

 世の中にはいろんな力がありますが、私は芸にも力があると信じています。"芸力"と呼んでいるのですが、私はその芸力を信じて今までやってきました。ですから、たか子にも、それを信じろということを言いたいですね

 デビューした時点でたか子は、私の手元から離れたと思っています。二十歳なんて大海原に舳先がほんのちょっと出たようなもので、彼女はこれから世間の波を乗り越えていかなければならない。

 私は、たか子が自分なりに考えて判断していってくれればいい、と思っています。女優という職業も結局、最後は人間性が勝負です。

たか子には素敵な女優であると同時に、すばらしい人間であってほしいし、そうあるように進んでいってほしいと願ってます。

(「月刊カドカワ」1997年8月号より)<MIDさん


1999.12 新・折々のうた4 冬のうた

★たか子ちゃんがゲストで大岡信さんと対談したの模様を。

→ こちら から。

(朝日文化講座「新・折々のうた4 冬のうた」より)


1999.11 おとばん

★たか子ちゃんがゲスト出演したユースケさんのラジオ番組でのコメントをまとめてみました。
たのしそうでしたね。「たあちゃん」のあの、なんともいえないゆっくりした、ちょっと間の抜けた(ごめん)
よーなしゃべり方が、妙によかったです。

→ こちら から。

(TBSラジオ「THE おとばん」より)


1999.10 『直筆コメント』Vol.1

★たか子ちゃんのオフィシャルページに、たか子ちゃんからの直筆コメントが届きました。まずは、とにかく、読んでみてください。きっと、皆さん元気になって、またまた、たかちゃんが大好きになりますよ。

→ メッセージは、こちら から。

(「松たか子オフィシャルページ」にて)



1999.10 『歌舞伎界は夫婦共稼ぎ』

★タウン情報誌「銀座百点」10月号に、幸四郎さんの奥様(藤間紀子さん)と小田島さん、村松さんとの対談記事が載っています。かなりの量で、内容もたいへんおもしろいものでした。ご家族5人がそろったモノクロの小さな写真もありましたが、これは(恐らく)『ファミリーブレイク』出版記念パーティでのものだと思います。

手に入れたい方は、銀座の加盟店で手に入れるか
(無料です!どこでもらえるか、加盟店のマップなど詳しくは、http://www.ginza.co.jp/hyakuten)
または、「銀座百店会」(03−3571−6860)まで。直接購読できるみたいです。

規則より、全部を掲載できないので、そこからピックアップして情報だけを書きました。 

→ こちらです。

(「銀座百点 No.539」より)


1999.10 『大阪留学したいんです』

★10月10日(日)「YEBISU亭」の落語&トークショーにゲスト出演されました。
(〜談志が創る!染五郎が迫る!〜「YEBISU亭」)

そのときのお話をまとめてあります。 → こちらです。

(「立川談志さんとのトークショー」より)


1999.10 『家でもやっぱり松本幸四郎』

 家にいても、父はやはり「松本幸四郎」なんです。私たち兄妹にとっては父だし、母にとっては夫なわけですが、まず幸四郎として存在している。家でもしょっちゅう台本を読んでいるし、そんな時はみんなが遠慮します。舞台でトラブルがあると家でも機嫌が悪い。仕事を家にそのまま持ち込む人です。そういう意味では切れ目がない。
 父は普段、あまりしゃべりません。踊りのけいこでも「いつも(女形の人が踊っているのを)みているんだから分かるだろう」というだけ。父と会話をすることはあまりないので、姿を見て学び取らなければならない。かえって厳しいのかもしれません。
 実は、私が市川森一さん(脚本家)から大河ドラマ(花の乱)の仕事を勧められたとき、父は「本気でやるなら応援する」といってくれました。でも何をしてくれるわけでもない。父自身がいい仕事をするから、それを見ろ、ということだったのかな、と後になって思いました。
 大きな「存在」としての父を見ていく。それが娘としての務めかなって思っています。仕事を始めて、父との距離が縮まった気がします。
 高校生のころ、父と兄(市川染五郎)の「連獅子」を見ました。うらやましかった。「自分が男だったら……」って。自分の前に、八人も九人も同じ名前の人がいて、その名を継いだうえに、自分なりの九代目幸四郎を作り上げていく世界。
 兄との関係はシビアですよ。歌舞伎の「大森彦七」の勉強会があった時、踊り方、家に伝わる形は教えても、父独自の工夫は教えなかった。兄と張り合ってる部分があるんです。ライバル視しているんですね。
 だから、舞台などで周囲の方々に、兄や私だけが褒められると、すねるんです。悔しいんでしょうね。子どもっぽいところがあるんです。
 私が幸四郎という人と結婚したらっどうなるか、母と話したことがあるんです。本人たちは結構いいかもしれないけれど、周りがたいへんだねって。二人とも仕事しか目に入らなくなるんですから。
 八月にテレビの番組で、舞台「ラ・マンチャの男」の代表曲「見果てぬ夢」を、父と歌ったんです。芝居以外で二人で歌うなんて初めてでしたが、意外にも父が緊張している様子がよくわかりました。「この人も緊張するんだぁ」って驚いてしまいました。 

(「朝日新聞『おやじの背中』」より)


1999.9 『現代劇は1年に1本が限界です。まず歌舞伎。出たら勉強になります』

「自分の『位置』がある気がする。それは、もしかしたら主役じゃないかも.父や祖父の系統じゃないかも。今はまだ決めたくないですけど」

「僕が歌舞伎と言われる役者になりたい。松竹新喜劇イコール藤山寛美さんのように、同義で語れる存在に」

(「AERA」より)


1999.9 『ラ・マンチャの男』東京公演を前に

「初演から30年、走馬灯のように思い出されるのはミュージカルの本場ブロードウェイで英語で演じた舞台です。私がまだ27歳の時でした。
20代で歌う『見果てぬ夢』は、夢に燃えている若者の歌になりますが、50歳を過ぎて歌う『見果てぬ夢』は、おのずと違うものになります。
実人生でも『ラ・マンチャの男』に随分救われた面もあると思う。母が亡くなったときも、大阪で舞台に立っていたのですが、
『見果てぬ夢』を病床の母の元へ届けとばかりに歌っていました.明らかにそれまでと違う『見果てぬ夢』でした。
自分の人生と役者人生は区別できない、と思ったのです。
出演者の中でも初演のころ、生まれていない人がいますし、舞台に初めて接するお客様もいらっしゃいます。
心を引き締めて、若さと新鮮さを失わずに節制してやりたい」

1999.9 『ラ・マンチャの男』東京公演を前に

「自分が生まれる前から、幸四郎が演じている作品です。見るたびに感動することが違い、一つの作品でこんなに心が動かされたものはない。出演している一人としていつまでも素敵だと思われる舞台にしたい」

(ともに「毎日新聞夕刊」より)


1999.9 『21世紀の歌舞伎について』

「40年後、50年後には歌舞伎しかしていない。それが理想です」

「歌舞伎以外の舞台に立つたび、また、歌舞伎の舞台に立つたびに、改めて“自分は歌舞伎が好きなんだ”と感じます。自分にとっては現代劇の先に歌舞伎があるんです。いつか、いろんなジャンルの役者さんたちと、“ちょっと歌舞伎出てよ”“じゃあ、うちにもどう?”と言い合えるようにしたいんです。そのために今できることは、まず僕が現代劇に出ることだと思っています」

「今の歌舞伎は“きれい”なんですよ。人間ってもっとドロドロしてるものじゃないか、そこを深く描く歌舞伎があってもいいんじゃないかと思うんです」

「歌舞伎のジャンルを幅広くするのが僕の目標です。たとえばテントでやる歌舞伎があってもいいし、若い人にしか理解できない歌舞伎や、子供のヒーローになる歌舞伎(それらはかつてはあったものだし)、21世紀には何とかしたいものですね」

「失敗は怖くない。新しいことをするなら、賛否両論あるくらいインパクトがなければ意味がない。だって、考えてもみてください。21世紀といっても、あと100年後も21世紀ですからね。時間はたっぷりありますよ」

(TJ『チケットセゾンマガジン』より)


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